縁日考

伊庭心猿



 戦火で下町の社寺は全滅してしまつたので、数年来縁日といふものに出かけたことはないが、今でも田舎の祭禮にゆけば、三寸やゴト師が昔ながらの聲をはりあげてゐる。賣つてゐるものは大部分變つてはゐるが、まだまだ明治大正の匂ひのするネタが少くない。下町では水天宮や西河岸地蔵、椙ノ森、茅場町の薬師など盛んなものだつたが、今はどうなつたか。

   初午や娘みたさに椙の森    迂外

 新凉の一夜、私は老眼鏡をたよりに各区の縁日をメモしてみた。遠い日の記憶だからさぞかし誤りもあるだらう。

 一日

 蠣殼町の水天宮、本銀町の妙見さま、鉄砲洲稻荷、浅草観音。川をわたつて深川の不動と八幡。数へてみると朔日は大ものばかりだ。山の手では、赤坂の豊川さま、麻布坂下の観音、芝大神宮、烏森、虎の門の金比羅さまと、これまた相當に網羅してゐる。そこには、晦日の諸拂ひをすませた庶民のくつろぎといつたものが、何となく漂つてゐた、と思はれる。

 二日

 三番町の二七不動、二三年前、その縁日に偶然に行會つたが、昔を知つてゐるだけ、そのうらぶれた有樣に、ひどく滅入つてしまつた。並木の駒ン堂、吉原神社、田町の袖摺稻荷。川向うは石原の徳ノ山、二ツ目の薬師など。吉原の切山椒とぶどう餅が忘れられない。

 三日

 小傳馬町のお祖師さま、本所緑町の観音と五百羅漢。黒豆の目玉のついた達磨おこしを、よく買つてかへつた。

 四日

 四の日は、濱町生れの私には何といつてもお膝元の清正公なので、ほかの土地へはのせなかつた。他に、西河岸の地蔵、出雲町の金春稻荷。

 五日

 筆頭が水天宮、この日がもし戌の日にあたれば、有馬さまが一日でお釜をおこすといはれたほど参詣人で賑つた。人形町通りの雜沓が思ひ出される。神田の五十稻荷も人が出た。それにしても、池上浩山人居のうしろの今の社殿は侘しすぎる。もう少し何とかならないものか。

 七日

 小傳馬町牢屋の原の両大師、銀四の地蔵、二七不動、不忍辨天など。ほかはあまり記憶がない。

 八日

 茅場町の薬師、小傅馬町は鬼子母神で二日つゞき。初夏の薬師は、打水にアセチレンの灯が青く光る植木市が美しかつた。根のない鉢植を買はされて、笑はれたこともある。

 十二日

 この日も茅場町の薬師。越前堀のお岩稻荷、田町の袖摺。お岩稻荷の前にでた、丁髷の金太郎飴屋の爺さんを思ひ出す。

 十五日

水天宮、鐵砲洲、三ツ目玄徳稻荷、神田五十稻荷、浅草観音、烏森、小傅馬町両大師。白蛇のでる柳島の妙見さまへは、父につれられてよく行つた。川沿ひの料亭橋本で厚い玉子燒をたべ、帰りはたいてい俥の上で眠つてしまつた。

 十八日

 小繪馬町の鬼子母神、銀四の地蔵、一ツ目と三ツ目の観音さま。本所へゆくには安宅の渡しに乗り、坊主しやもか角屋で夕飯をたべた。

 二十日

 久松町の紋三郎稻荷。明治座のお囃子をききながら、繪看板に見入つた。奈落に入つて廻り舞臺のろくろを押したこともある。他は五十稻荷、吉原神社、待乳山の聖天さま。浅草へ行くには、一銭蒸汽ときまつてゐた。船中の立賣で繪本を買つて貰ふ。

 廿四日

 清正公の命日である。濱町、薬研堀、横山町、芝白金、二本榎と、各区のお堂が賑ふ。神楽殿では二十五座、丸一小仙の曲技、茶番があり、今の紙芝居の前身、写し繪の小屋が立つのも、この日である。

 廿五日

 天神さまの日。場ちがひで、湯島も亀戸もめつたに行かなかつた。尤も、船橋屋の葛餅の折、笹の先きにぶらさがつた藤娘や張子の虎は、よくお土産にもらつたが。

 廿八日

 各区の不動さま。とりわけ深川が賑ふ。境内に、鼈甲燒、八百屋菓子、燒栗、達磨おこし、水中花、ほうづき屋の店がぎつしり並び、それに瓶細工、ろくろ首、蛇娘の見世物や、大道芸、香具師の呼込みが、何となくわれら悪童の胸をわくわくさせたものである。

 寅の日

 神楽坂の毘沙門天。瀬戸物、荒物雜貨、錠前屋、笊屋といつた、世帶ハグチの夜店が牛込見附までつゞき、坂下の屋臺では熊公のアンコ巻がよく売れた。今の神楽坂をみては、もう昔語りである。


 後記

 風塵抄はもと東京風塵記と題し、山口草堂氏主宰の南風、昭和二十九年七月號及び八月號に分載されたるもの。縁日考は同三十一年九月病床にて口述し、翌月の春燈に寄稿せり。もとより考證の文字に非ず、一家の漫筆、徒らに想を馳せて往時を偲ぶのみ。今又葛飾俳話会同人の好意に甘へこの書を上梓するに際し、二十年来の雅友是空庵主人より挿繪を贈られたるは、余にとりて望外の喜びたり。ひのえ申のとしの秋、遠く葛西ばやしを聴きつゝ病猿生しるす。




底本:「絵入り東京ごよみ」葛飾俳話会
1956(昭和31)年10月15日発行

入力:H.YAM
校正:
2008年2月17日公開
市川市立図書館作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)に提供できる様式で作成しました。
 



●表記について